いちご
にんじん
トマト
いちご
キャベツ

会社案内_bk

営理念

社是この方向で行くという大方針を凝縮したスローガン

活力・活気・活果・活菜

活力のあるスタッフが、活気のあるお店で、鮮度のいい野菜、果物を、買いやすいお値段、量でたくさん提供する。
いつの時代も、このようなお店づくりができるように、社員全員が知恵を絞り、努力をする。

経営理念経営についてこうあるべきだという根本の考え方

創業者・代表取締役 内藤 雅嗣
  • 一、カネトクは、会社だけでなく、スタッフ、お客様、農家さん、市場関係者、出店先、取引先といった、カネトクにかかわるすべての人や組織の利益が、最大になるような商売を行います。

  • 一、カネトクは、カネトクというステージを通して、働く楽しさ、食べる楽しさ、儲ける楽しさ、青果を作る楽しさを知っていただき、その楽しさを代々引き継いでいきます。

クレド企業が大切にしているポリシー、あるべき姿

クレド
  • 私たちは、『私たちの扱う青果は、お客様の体内に取り込まれ、成長や健康維持に必要とされている商品である』という意識のもと、妥協のない清潔さ、安全性を追求します。
  • 私たちは、農家さんに一生懸命育てていただいた青果に対して敬意を払い、商品を丁寧に取り扱うことを心掛けています。また、商品同様に、仕事で使用する道具、備品についても大切に取り扱います。
  • 私たちは、優れた青果については、それを育てた農家さんの評価が最大になるように仕入や販売方法を工夫し、カネトクの看板商品になるよう努めます。
  • 私たちは、お客様やスタッフの利益の増加につながる作業の効率化、低コスト化を常に追求します。そしてこれが、スタッフのモチベーションを高めるのに効果的であると考えています。
  • 私たちは、仕事をスピーディーに行ったり、スタッフのアイデアを生かしたり、スタッフ間のトラブルを未然に防ぐのには、スタッフ間に良好なコミュニケーションがあることが、最も重要であると考えています。
  • 私たちは、仕事で高いパフォーマンスを発揮するため、健康維持に努めます。そして、豊かな人生を歩むには、その高いパフォーマンスを長く続けられることが重要であると考えています。
  • カネトクは、能力があり、やる気のあると認められるスタッフには、高報酬が獲得できる可能性のあるステージを、可能な限り用意します。また、スタッフの個々の価値観を尊重し、必要に応じて、スタッフに無理をさせないよう仕事を工夫し、過度なプレッシャーを与えることがないよう知恵を絞ります。

社概要

商号 有限会社カネトク
代表者 代表取締役社長 内藤 雅嗣
本社 〒444-0116
愛知県額田郡幸田町芦谷南屋敷43-2
TEL / FAX:0564-62-6815
店舗
【三越星ヶ丘店】
〒464-0802
愛知県名古屋市千種区星が丘元町14-14 三越星ヶ丘 地下1階
TEL:052-783-1505 / FAX:052-783-3947

【藤が丘effe店】
〒465-0032
愛知県名古屋市名東区藤が丘170-4 藤が丘effe 1階
TEL / FAX:052-799-3265
設立 1988年7月
資本金 500万円
売上高 年商10億円(2017年7月期実績)
従業員数 80名(正社員22名、アルバイト・パート58名)
事業内容 野菜・果物の販売(八百屋)

社沿革

1995年頃の野菜売り場

1995年頃のフルーツ売り場

時期 出来事
1988年
  • 三越星が丘店にて、柱周り1本分のスペースで営業開始。(仕入先は、豊川大一市場のみ)
1989年頃
  • 豊田市場で仕入開始
  • 佐野果菜園(野菜全般、いちご)さんと取引開始
1995年頃
  • 三越星が丘店で、販売スペースが柱周り2本分に広がる
1998年頃
  • 三越星が丘店で、販売スペースが柱周り3本分(現在の大きさ)に広がる
  • 名古屋本場市場で仕入開始
2003年頃
  • 名古屋北部市場で仕入開始
2005年頃
  • 山口さん(原木椎茸)と取引開始
2012年
  • 藤ヶ丘effeで営業開始
2015年頃
  • 三河市場、丸ト市場で仕入開始
2016年頃
  • 山口トマト園と取引開始
2017年頃
  • 岡田さん(いちご)と取引開始
  • 金田さん(野菜全般)と取引開始

上記に掲載させて頂いた農家さんと生産されているブランド青果について、詳しくはこちらでご紹介しています

ネトクの由来

カネトクの「徳」は、徳川家との由緒から頂戴しています。

実は内藤家はその昔徳川家の旗本で、ご先祖様の中には徳川家康公の乳母をされていた松さんもいらっしゃいました。その乳母の方の墓石にはこんな記述もあります。

〜松平竹千代君(後の徳川家康公)が病(天然痘)に伏した時、自らの体を顧みずに幾日も看病し、「私の身を捧げますので、どうか竹千代様をお助け下さい」と37日絶食し、近くの熱田大神(熱田神宮)へ平癒祈願した。その甲斐あって竹千代君はついに一命をとりとめ、松は自らの命を絶って熱田大神に感謝した。享年25歳であった。〜